執筆者:ゆい
現役副住職の恵美さんは10年前の震災での活動を経験されています。
当時は恵美さんのおばあさまもご健在であり、このおばあさまは恵美さんより高い霊能力や霊視のできる方です。
今回は恵美さんに当時のことをインタビューしてきました。
今回は311のことを聞こうかと
恵美さん
ああ、あれは私よりもばあちゃんが凄かったというか。地震の三日後くらいに現地に車を出せってなってね。もちろん、このあたりもかなり揺れて墓地では墓石とかも倒れていたから動けるのも私くらいだったというかね。Kさんもばたばたしてたもんねえ
1か月くらいはバタバタしてたし、実家に避難してたからね
恵美さん
で、ばあちゃんが急いで車をだせ、泊まる準備も一応しろっていうから寝袋やインスタント食品とかも準備してK市のほうに向かったのよ
確か高速も使えなかったよね?
恵美さん
うん。普段の峠も半分封鎖されてたから違うルートで走っていったよ。で、K市に向かっていく途中にばあちゃんが“とんでもないことがおきてる。少しでも助かる人が増えるからおらだちはいくんだぞ”って。私は何をしたらいいかわからないからジャージ多めに持って行って、スニーカーとジャージ。ばあちゃんも山に行く恰好だったわ。一応、法衣と袈裟とか一式も積んでたけども
あの時は私も5月の頭に空港のほうにむかったんだけども、駅前から少し進んだ田んぼとかに船とかが流れてきたままで、塩の臭いと鉄の臭いしかしなかったのを覚えてるよ。風景も、空と茶色しかないというか
恵美さん
ほぼそれだったねえ。松林とかまばらに残っている感じで。K市に行く途中もそんな感じだったね。だんだん色が少なくなっていくの
K市には入れたの?
恵美さん
手前で一回現地の人と合流した感じ。ばあちゃんが連絡を入れてて。消防の人たちががれきの撤去とかをすごく頑張ってて……あとは、うん、人生であんまり嗅いだことのないにおいがあったというか
恵美さんは副住職という立場上、葬儀などにも多く立ち会っています。
その恵美さんから見ても厳しい光景が当時はあったそうです。
恵美さん
私はある程度なれているけども、そういうものではないっていうかね。心が急に壊れる人もいればゆっくりと壊れる人もいるなあって思ったわ。できる部分から手伝おうと思ったら、ばあちゃんが“何のために来たか考えろ”ってね
と、いうと
恵美さん
私らはそれなりに人以外のものが見えたりするわけだからね。ここにいる、ここをどかせとかの声を聴けるのよ。だから、現地の人と一緒にどこを撤去するかに集中した感じで
たしかに、理にかなってる
恵美さん
ただ、ああいうのって思念的な声を拾うから本当に確定させるのにも凄い力を使うんだよね。とにかくいろんな音が混ざっていて集中できないのがきつかったよ
恵美さんがそういうところに自主的にいくというのはあまり想像がつかなかったけど、あのおばあさまなら納得というか
恵美さん
行動力の塊だったからね。で、ばあちゃんのサポートしながら現地の人と救助のほうに入っててね。泊る所は同じ宗派のお堂をお借り出来て。お湯沸かして体を拭いたりする感じで当日の夜は過ごしてたかなあ
でも、寝るところは確保できたんだね
恵美さん
うん。これはすごく大きかったしありがたかった。でもまあ、私がいるってことは葬儀まではいかなくてもそういうことをしなきゃいけないわけでね
被災地ど真ん中みたいな場所だしねえ……
恵美さん
簡易的なものでも、形だけでも読経っていうものは人の心を動かすものであり、大学で学んだことを改めて思い出してたわ。何のために仏教があり、何のために自分たちが神職として存在するのか。こんな大災害が生きてる間に来るなんて考えたこともなかったからね
それは思ったよね。こっちはまだ被害は少なかったけども、現地はすごかったものねえ……
恵美さん
で、ばあちゃんがとにかく私らよりも霊視ができる人で。向こうにいる間ろくに寝れてなかったと思うよ。さまよってる人を諭したり、家族への伝言を預かったり
そういうのも多そう
恵美さん
私はある程度遮断してしまうんだけども、ばあちゃんはそういうのをしない人だったらかね。存命中はいろんなことがあったよ。でも、311はばあちゃんもだけども、けっこう霊能者の人たちが現地にいたと思うよ
そうなんだ?
恵美さん
おおっぴらには言えない話ではあると思う。非現実的だしね。ばあちゃんは割とその方向で有名な人だったから最初から千里眼の人が来た、って感じで受け止めてもらえたけども。できることをできる限り頑張るしかできないからね。ただ、なんというか……二度と見たいとは思わない光景ではあったね……
2か月たってもまったく復興なんてなかったし、今だってまだ高速の柱のところとかに水あと残ってるところもあるからねえ
恵美さん
復興が~で取り上げてもらえる場所はごく一部であって多くのところはまだ途中だからね。電車だってまだ復旧してない部分も最近まであったし、10年といってもまったく変わらない部分もあるんだなっていうのは知られてないからねえ
それは確かに思う。当時、恵美さんはしばらくむこうにいたの?
恵美さん
いや、ばあちゃんの体力が限界になる前に一回引き上げたよ。で、こっちに帰ってきてから温泉とかいったんだけども臭いがね
何の臭いかはわかるけど聞かないでおくよ
恵美さん
うん。それもあって早朝に三日くらい温泉に通って、そのあとに水行軽くしに行っていろんなものを一回そぎ落としてきたのかな。ばあちゃんはそのへんは不要なんだけども、私はまだまだ足元にも及ばないくらいだったからいろんなものの力を借りていく形だったわ
あのときは私も、向こうに向かう人にお願いして向こうの方に住む友人にインスタントやコーヒーを運んでもらったわ
恵美さん
嗜好品ってすごく大事なのよ。私も、むこうにコーヒー持って行ってすごく感謝された。人に戻った気がする、すごくおいしい、って
人に戻る、か……
恵美さん
中には二杯目を亡くなった方にささげてる人もいてね。そうやって心を回復させてくれるのが嗜好品だから。Kちゃんが嗜好品やサニタリー用品を送ったっていうのはすごくうれしかったと思うよ
またすぐに向こうに行ったんだよね?
恵美さん
うん。何台かに分乗して、一家で向かったよ。といっても滞在が長いのは私とばあちゃんになるんだけども
心の整理というもの
311では多くの街が壊滅状態になり、がれきと鉄と焼けた臭いしかしない場所も多くありました。人生で初めて見る光景であり、凄惨という言葉では片付けられないものばかりでした。
恵美さんは現地に数日後に入っていたこともあり、より熾烈な光景を見てきています。
二回目の時はやっぱり探索だったの?
恵美さん
いや、生存してる人も見付けながらほぼ葬儀のほう。といっても火葬とかも順番まちだったから、仏様を前にして読経と家族の人に対しての葬儀という形を作ることに専念した
たしかに、あの時は順番待ちだったっては聞いてる……
恵美さん
うん。それでもね、何とか心の整理を作るのがそういう儀式だからね。そこに僧侶がいれば我も我もとなる。なら、数は多いほうがいいから住職にも頑張っていただいた感じだねえ。二回目の時はなんとかお風呂を借りれる場所があったからだいぶ良かったよ
やっぱり臭い?
恵美さん
いや、においはねなれる。お湯や水を使えるなら体についてるいろんなものを物理的に押し流してしまうんだわ。それように借りれるのがありがたかった。ばあちゃんは消防の人と一緒に探索と霊視、私と住職は葬儀のほうに走ってた感じだね。なにせ、僧侶自体が仏になってしまっていたからね
そうなってしまうよねえ
恵美さん
もちろん、その中で私にも聞こえる場合には人手を頼んで発掘になってた。生きていてくださればもちろんありがたいけども、見付けてあげることも大事だったから
聞こえるっていうのは区別なく聞こえてしまうもの?人や霊的なものの
恵美さん
少なくともあの時はそうだった。普段だったらそこの区別はつくんだけども、自分に何が起きたかわからない人が圧倒的に多くてね。同時に、認めたくないっていう人も多くて思念がかなり混ざり合ってたのは間違いないよ。でも、そのなかで何人か助かってくれた人もいてそれは本当に良かったと思う。ばあちゃんが私を連れて行ったのはそういう人を少しでも増やすためだったから
そのときはおばあさまは?
恵美さん
ばあちゃんは生きてる人を最優先にしてた。ただ、そこに人がいる場合には印をちゃんと残してて。何人もの伝言をもらって、夜には家族にそれを伝えて、それから就寝するようにしてたから当時のあの状態と年齢でよくそこまでできたなって今でも思うわ
パワフルな方ではあったよねえ
恵美さん
それね。本当にパワフルな人だったからなあ……私はまだまだだって思うよ
10年たって追いついたんじゃないです?
恵美さん
まだまだ。10年たっても霊的な人たちはばあちゃんにお礼を言いに来るよ。あれはもう人徳だと思う。次の世にどんなふうに産まれてくるんだろうって思う。まだまだその世はこないみたいだけども
生まれ変わり、かあ
恵美さん
10年たってだいぶ変わりましたか?っていえば何も変わってないと思うのよね
復興したかっていわれたらそれはまだだって私も思うからねえ
恵美さん
今でも向こうの人からお手紙とか頂くし、たまにドライブかねてお邪魔してるけども、けっこう覚えててくれる人が多くて。お坊さんお坊さんって呼んでもらってる
できればあとはないといいねえ
恵美さん
こればっかりは確定出せないものだからねえ。ただ、ああいう災害っていうのはその土地に閉じ込めているものとかも一気に噴出させてしまうから復興が遅れたり、霊的な瑕疵がでたりするんだよねえ。311に限らず、自然災害で何かが崩れるとかはそういうことが起きる可能性があるっていうのは考えなきゃいけないねえ
さすがにもう霊的な人はいないでしょ?
恵美さん
やー……海のほうとかにはまだいる。もう、そういう人はそこから動く気もないし、自分一人がこんな苦しみを持っているのが嫌だ!って考えに縛られてるからね
地縛霊?
恵美さん
純粋な意味でそうなるねえ。そういう人は説得しても無駄だし、私はそのままにしてる
向こうは何か言ってこないの?
恵美さん
言ってくるよ。それには“何十年かかろうと自分で納得しなきゃダメだと思うから私は関与しないよ”っていってる。だと、あっちもそれ以上は言ってこない。自分を邪魔しない、消しに来ない事分かればそれだけでもこっちへの危害はだいぶ減るからね
当時は結構成仏的なことをさせた人もいた感じ?
恵美さん
それはかなりあった。本人たちも何が起きたかわからない、どうしたいいかわからない、って方が多くてね。状況を説明して“じゃあ、留まるわけにはいかないですね”って方が本当に多かった。できる範囲で家族に伝言をしたり、家族も被害にあってる場合は一緒に向こうに行けるように集めてみたりもしたよ。結構な数の犬とか猫もいたねえ
動物も被害が大きかったものねえ
恵美さん
うん。まよってる飼い主を見付けて一緒に旅立ったりもあったよ。本当に愛されてるんだなって思った。今度は自分が向こうまで道中守るんだって顔でしっかりと先導してる子もいたし、可愛がってくれた飼い主さんが被害にあわれて留まっているのを迎えに来た子もいた。311の現場はすごくいろんなことがあって、人が知らない話のほうがたくさんだと思うよ
迎えにくる子もいるんだ
恵美さん
うん。いつまでもここにいちゃだめだから一緒に行こうって連れて行く子が多かった。それだけ生前に愛情を注いでたのを再確認できるというかね
ドラマがありすぎる
恵美さん
そんなこともあったのよ。で、ご家族の人に伝えると“うちの犬です!”って言われたりね。私は犬とか育ててないけども、Kさんみたいにしっかりと守られてる人もいるから育てるというか愛情次第なんだと思うよ
311から10年たってまた、地震が増えてきたよね
恵美さん
同じことできるかって言われたら今度は私一人だから無理かなあ……ばあちゃんクラスに強い人がいればいいんだろうけど私一人じゃ背負えないからねえ。できることはするけども率先してというのはないかな。そこまでの強い力がないからねえ
恵美さんクラスでも難しい?
恵美さん
私は基本的に僧侶だからね。霊媒師的な部分はおまけというか。できる部分はするけども自分のキャパ以上は受けないし、私では力不足の案件はそのまま伝えてお断りしてるよ。どうにもできないものや、強すぎるものっていうのも存在するからね。いまから何十年とたって私がまだ僧侶を現役でやれていたら違ってくるかもしれないけど現段階だと難しいねえ
おばあさまクラスになるにはまだまだ時間が必要って感じです?
恵美さん
うん。あれくらいに強い人はなかなかいないからね。一応、私が一番濃く受け継いでるはずだけども、なにをどうやったらああなれるかはまったくわからん
一般の部だから恵美さんのその辺の苦労は何となくしか理解できないや
恵美さん
それぞれ役割がみんな違うからね。KちゃんはKちゃんにしかできないことをけっこうしてると思う。多分わかってはないだろうけども。私もはっきりとこれだっては言い切れないけども
一緒に出掛けるのは結構なスリルがあるとは思っている
恵美さん
まあ……見えてしまう部分は仕方がないもんだからねえ。その中で被害は少なくを意識はしてるけどもうまくいくときとそうじゃないときがある。見て危険なものはさけちゃってるわ。分かり合えない部分ってあるし、そこで無理しちゃいけない。どっちにもよくないことになるよりも、何もしないことが最善のこともある
難しいよねえ
恵美さん
10年たっても仏さんたちから感謝されるばあちゃんはすごいと思うよ。私はまだまだそこには行けないし、たぶんいかなくてもいい。ばあちゃんはそういう天命だからっていってたしねえ
存命中はそこまで強烈な人とは思わなかったんだけどなあ
恵美さん
外面はすごくよかった
外面て(笑)
恵美さん
常に真剣であるっていうのはまだまだできないので私は緩く僧侶をやっていたいわ(笑)
またいろいろと聞きに来ますので(笑)
恵美さん
了解ですよ~。ではまた
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