現代の陰陽師として活動する紅葉さんですが、土地の地鎮や慰霊などをはじめ吉凶や凶事払いなども請け負っているという方です。
現代の陰陽師の活動のあれこれをインタビューさせていただきました。
目次
土地ならしで見つかった骨、陰陽師が語るその歴史的背景
よろしくお願いします~
紅葉さん
どうもです~
今回は最近の活動などをお伺いしたいのですが
紅葉さん
最近だとあれですね。土地ならしをしたら紐にくくられた骨が出てきたのでどうにかしてほしいというのがありましたね
骨ですか
紅葉さん
人骨ではなかったので、その部分は安心できたんですけども、現物をみないことにはなんともだったのでお伺いしたんですよ
ええ
紅葉さん
畑の一角を工事して小屋を作りたいということだったんですが、そこから骨が出てしまい、どう対処したらいいのかという相談をいただいたんですよ。自然のものなのか、まじないだったものなのか、呪いなのかで全く対処も変わってきますからね
ですねえ。どれが正解だったんですか?
紅葉さん
使われていたのは犬だったんですけども、呪いとかではなくて一種の祈祷というか祈願というか。それでその家にいた犬を供物にした感じでしたね。心配なら地鎮の方をしますよとお話をしたら希望されたので、簡単な地鎮をさせていただきました。それまでも何か霊障があったわけでもないので。地鎮をして別の場所に埋めなおしておくのも方法の一つなのと、今までも守ってくれた可能性もあることをお話したら”それでお願いしたい“ということでしたので骨を移動させて木の根元に移動させていただいたんです
守ってくれていた場合には無理に処理するよりもいい方法ですよね
紅葉さん
呪法や呪いのものであれば媒体や触媒になっているので砕いてしまうんですがそうではなかったのでその説明をさせてもらったらお家の方も安心したらしくて
ええ
紅葉さん
埋める場所もお家の方と相談して決めたんですが、それから数日見たことのない犬の夢を見たらしいんですよ
犬の夢
紅葉さん
日当たりのいいところでとても気持ちがいい、またしばらくこの家にいさせてもらえるという気持ちが分かったと言ってましたね。祈祷などでの供物としての犬だったんでしょうけども、それまでもとても大事にされていたのはわかりますからね
犬もあったかいところだと嬉しいですよね
紅葉さん
ですねえ。それは家主さんも同じことをおっしゃってて。せっかくなので日当たりがよくてお庭がきれいに見えるところに埋めてあげたい。そんな風に守ってくれていたなら今度は暖かい場所で風化させてあげたいって
とてもお優しい方ですね
紅葉さん
ですねえ。そういう方だからこそ夢に出てきたんだとは思います
御祈祷とかにも犬が使われることはあるですか?
紅葉さん
おそらくというか、土地神がいけにえを求めるタイプだったんだと思います。土着の神って命を求めることが多いので。人が一番にはなりますが、命のあるものである程度の大きなもの、愛情を受けてきたものというものはささげられた場合には効果も大きいですからね。その思いを反故するのは神として三流以下になりますし、神という存在は何よりもまず面子を重んじる種族ですから
土地神の特性と陰陽師によるお祓い
面子を重んじる種族
紅葉さん
どれだけ霊能力のある人間であってもあちらからすれば“人間風情”なんですよ。なのでその人間風情に負けることは神としての格が落ちるだけではなくほかの神にも笑われますからね。どれだけ強い神であっても土がつけばちり芥の神よりも下に落ちてしまう。それほどに負けということは神という種族には大きなものになる。その部分をついてきたのが陰陽師でもありますね
確かになんか大きなものとやりあうイメージはすごくありますよね
紅葉さん
本当に穴のない神とかもいるんですがそういう存在って下手なことは絶対にしないんですよ。なので、土地神や土着神なんかはその部分にスキがある。そこを上手についていくことであちらの体面を守りながらこちらの要望を通させてもらってますね
ほかの霊能者の方のインタビューとかもさせていただいてるんですが、霊的な存在は人間を下に見てくるからそこを丸めていくとも言ってました
紅葉さん
ですね。特に神と名のつくものや神としてそこでまつられるものというのはどれだけ小さくとも上に行きたいという気持ちを持っているのでそこを利用することもあります。動物を媒体とした神なんかはやっぱりこっちをいかにして殺しに来るかみたいなものを根底にもってますからねえ
動物系は怖いって言いますよね
紅葉さん
でも基本的に神の多くは動物や樹木が多いですよ。人や神同士の婚姻などよりも自然界から生まれるものや、人の信仰や恐怖を集めていたものなどは神になりやすいですね。人身御供の埋められた樹木とか樹齢が高いものなんかはご神木といわれますからね
あーーーーー!!!!ですよねえ
紅葉さん
意外と身近に神格をもちそうなものってあるんですよね。極端な話ですけども道祖神なんかも道を行く人が安全を祈願したりすることで本物の道祖神になっていくんですよ。もちろん一朝一夕ではないです。でも、多くの人が通るところに作りその人たちが手を合わせるようになれば早ければ二百年程度で一番ランクの低い神になることもあります
それでもそれくらいなんですね
紅葉さん
もっと早くするには、それこそ命をささげることになります。ただ、いたずらに与えることでそれは間違った方の禍神になってしまうので。それを利用し新興宗教の神を作り出して、神職の人たちが何度も立ち向かっていますからね。その中にはもちろん陰陽師も入ってきます。そういった背景を題材にして書かれた絵巻などもありますし、それをさらにメジャーな形にして映画や漫画などにも出てきてると思います。どの時代でも必ず陰陽師に限らず神というか、神格を持つものに立ち向かう題材はでてきますよね
たしかに一つのジャンルとして確立している気はしますね
紅葉さん
でも実際にはそこまで派手なものがないというか、劇的なものはないことがほとんどです。でもそれが一番だと思うんですよ。そんな大きなものを怒らせるのはどうにもできないことに繋がってしまいますし、私たちも手の施しようなのないものとかは関与しないですからね。そこまで大事になってしまったものを人間がどうこうできるということがないというか。神格の高い神ってまず怒らないんですよ。仮に小さな子供が境内でちょっといたずらや粗相をしてしまっても将来の自分の信徒となるならばという考えで放免する方が圧倒的に多い。分別ある大人が境内で不浄行為や賽銭箱などの備品に座ったなどの場合には信徒としてもふさわしくないという形で本人に何らかの厄が落ちます。それを超えたものを受ける場合には家族や子供などにも影響が出てくる。そこまでの大きな怒りを受けるほどの行為というのは私もまだ遭遇したことはないですね
なるほど……
紅葉さん
そのボーダーラインが低い神なんかだと、やっぱりなんだかんだと起きることはありますが、その場合はこちらも出る手段があるのでいいんですよ。こういう言い方はおかしいのですが、本物の神様に対して怒らせることをした場合には、たかが人間風情では何もできなくなってしまうんです。だからそういったことをしてはいけない。幼少期にお宮などでそんな子をしてしまった場合にもきちんと叱責する大人がいればそれを見る神も将来の信徒ならばと寛容になってくれる。しつけというものはそいう部分にもかかってくるものだと思っています。実際に中堅どころのお社で不浄行為をした子供さんに霊障が出てしまって。話を聞いたらそんなことをしていたというのでまず親にこっぴどく叱られてましたからね。その後に私の所に話が来たんですが
ええ
紅葉さん
親御さんがきつく叱ったことでその気持ちが社の主に届いたんでしょう。もういいといった具合に霊障はおさまってましたね。とくにそのお家が信心が強いとかでもないんですよ。それでも神の住む場所で自分の子供が不浄行為をした。それ自体がよくないという認識を持っていれば子供を叱ることができるんです。今の子供さんは怒られることはあっても叱られることって少ないんですよ。感情はもちろん全くないとは言えませんが、叱るというのは相手のことを考えてなぜどうしてダメなのかを理解させるためのものですからね。もっとも……怒らない、怒られたことがないというお子さんも多数います。これは親が子供に嫌われたくないという感情があるので誰かにその怒る役目や叱る役目を押し付けているというか
ありますねえ。あのお姉さんが怒ってるからダメだよ~とか言われたことあります
紅葉さん
Kさんはどう答えましたか?
おばちゃんが怒ってるのは君にではなく君を叱ることができずに人に叱らせようとするママの方にだよ~って言いましたわ
紅葉さん
それでいいと思います。子供の方が強いんですよね。なので何でもすぐに与えてしまって泣いたら人のせいにする。その極論ですが、なにかおきても、神様が悪いんだとかになってしまう。そうなれば非のない神からすれば冤罪ですからね。名前に泥を塗りに来たような存在には優しくないですよ
たしかにそうなってきますよねえ……
紅葉さん
そもそもが、動くことをほとんどしない神に対して神が悪いというのはなりたたないんですよね。家庭環境や育児などの問題に関しても昔は神職や霊能者、陰陽師などは密接にかかわってきたんです。その名残が疳の虫ですね。今でも残っている
確かに少し落ち着きがないとか、精神面に不安があるとかだとお寺に預けたとかどの時代にもありますね
紅葉さん
寺院に預けるのはなぜか?となれば生活が規則正しいんですよ。気象から就寝までで自由時間は少ない。その流れを体に覚えさせることで覚えた後に帰ってきてもその時間で動こうとする。仮に読経に充てていた時間を農業などに入れ替えても時間というものの枠の中で動くことを守る。一般的な生活の中に適応させる療育の一つですよね。言葉遣いなども神職や僧職の方は基本的に丁寧であり最上位に神がいるので、その最上位の神に対しての言葉を覚えていく事で帰宅しても言葉をきれいに使えるようになる。今のように病名がない多動性障害やチック症状、吃音なども一種の霊障や狐憑きといった区分になっていた可能性が高いんですよね。強制的に直していく施設として寺院などに預けるという試みだったとも考えられますし。その中でもならなかったり明らかに重篤であれば外に見えないように座敷牢や痛ましい結果になったことも歴史資料などを見ていくと結構あるんですよ。見た目から問題がわかる場合だと天狗の子供だとかそういった理由をつけられたり。そういった子供だけを買いに来る存在などもいました
インドなんかでも欠損や無脳症の子供さんを神の使いとして神輿のようなものに乗せて街を練り歩くとかあったみたいですよね、近年でも
紅葉さん
異形って今も昔も恐怖と同時に人を引き付けるものでもあるんですよね。そうなってくると今よりもずっとそういった出産の多かった時代であればと考えると
怖いですねえ……なんというか旅人を襲ったりして子孫を残すことを土地の名前に残している所とかもありますし……そういったものを美談にしてるとかもありますからねえ……私にはちょっと理解しがたいのですが
紅葉さん
悲劇を残してしまうと、その土地に人が残らなくなってしまいますからね。意外と闇深い所っていう所は身近にありますから
ですよねえ……俗称ですが婆切峠とかそういった名前を見るとちょっと考えちゃいますね、自分は
紅葉さん
そうやって考えることができる人っていうのはその場で何かをやらかすとかはないですよ。でもそこからそういう名前だからこの場所で遊んでやろうとかはその場に残ってるものがあれば格好の餌になりますね。恐怖という言葉は適任ではないかもしれませんが、怖れや畏怖というのはすごく大事なんですよ。警戒することもありますが失礼な行為をしないということを無意識に選んでますから
たまに言われるんですが全力で見えないように頑張ってるから防衛本能がすごくて、見せようとする存在から見えないようにしている、と
紅葉さん
あー(笑)いますねそういうかた。それはそれでいいと思うんですよ。そうやって怖いものを遠ざけようとすることで危ない所をよけていくわけですし。自分から危険地帯に行くよりは、はるかにいいと思いますよ。そういう怖い所に行かない、怖いものに近寄らないというのも幼少期に身近で怖いものであるべき親に叱られた経験がないとかでも増えてしまってるんですよね。大人になってから何かにとりつかれてしまって総本山のような所に行ったとしても何も改善はないですからねえ……その手前で何とかしなきゃいけないんですよ
極端な話なんですが、神田明神の本家で不浄行為をして動画で全世界に公開してるとかはどうなりますか?
陰陽師の役割とは?神を怒らせる不浄行為とその代償
紅葉さん
棺桶に片足入れてる感じだとは思いますよ。あの場所は一つではなく複数のものをまつりその中でも将門信仰も入ってるので区分がものすごく面倒なんですよね。面倒というか大変。その全方位にケンカを売ってるわけなのでその人にとっての大事なものが腐って溶けていく感じになりますねえ……その人の運とか運命とか。そういった吉兆の方のものを溶かしていくんですよ。でもそれがその人の希望なんじゃないですかね。そうやって自分の下品な行動を全世界に公開してるっていうのは世界から嫌われたいんですよ。その願いを結果としては叶えているんじゃないですかね
本人は大スターになるっていってますね
紅葉さん
無理でしょう。神をも敬えないやつが誰を敬えるんですかね?敬愛をもてないやつに対して敬愛を持つ人なんていませんよ
ですよねえ……
紅葉さん
神田明神のように神だけではなく人からの神格化も一緒の所というのはすごくデリケートなんですよね。なので我々もあまり不用意には入らないですね。晴明神社に蘆屋の流れを持つものがいったら喧嘩を売りに来たのかってなるのと同じですよ
ものすごくわかりやすいですね
紅葉さん
我々もそぐわない場所や流派に反する場所にはいかないですよ。それは多分どんな人も同じで、お参りしたいけれども時間が無くなったとか、なんとなくそんな気分じゃなくなったとかないですか?
あります。あと、一か所を見た後にもう一か所に行こうとしたらナビでは目の前なのに一向にたどり着けないとかありました
紅葉さん
どうしました?そのときは
あきらめて帰りました。今日はご縁がなかったんだろうって
紅葉さん
集団のバスツアーとかだとね、そうでもないんでんすけども個人で回るときだとそういうものってあるんですよ。そこでちゃんとあきらめるというのは先方に対しても敬意を払ってつ行動になるんです。次に行ったときには問題なくたどり着いたとかもありませんか?
あります
紅葉さん
それは前回は何らかの不都合やもってきたものがなくなってるので、あちらからどうぞというやつになりますね。無理に前回訪問してないというのもこちらがどう考えていようとも断っている神に対してあちらを優先した結果になってるんです。それはそのお社の中にいる眷属に対しても威厳を示せますからね
こちらがどう考えているかではなく結果があちらにとっての体面を守るものになっていることが大事という感じですかね
紅葉さん
それくらい面子と体面が大事なんですよ。神が一度決めたことは簡単には引き下げることができない。それが神だからにはなるんですが……そういった部分を本能で察知できる人は自分の家に対して相性のいいものを見つけやすいですね。断わられてるなというのをなんとなく察知できますし。私も同行者や友人がどうしてもという場合には軽い礼をとってから参拝させていただいてますし、鳥居の前で待ってるなどもありますね。どうしても拒絶される場所はありますから。そういったものを体験するのも大事ですね。最初の話にもなりますが、そうやって無理を通してはいけない相手を教えるのも親の仕事の一つだとは思います。その土地の祭りに参加してお参りをしたときに感じる不思議な気持ちや護摩行を見るなども大人になる過程に大事なものだと思いますね。なので私たちは土地神や土着神との関係を重視してます。三つ子の魂百までというのは、あながち嘘ではなくてそのころに体験したことはその後の人生でも大事というものになりますね
なるほど……そういった部分は霊能者ではなくて確かに陰陽師の分野だと思いますね。ものすごくわかりやすいです
紅葉さん
そういってもらえるとありがたいですね。地域密着型なのはその土地の霊の医者さんと同じではあるんですがより細分化したという感じですかね
今日は本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いします
紅葉さん
こちらこそよろしくお願いします