僧侶の女性がリアルに語る311当時の様子を拝聴します

311当時の話。あれから12年たって

東日本大震災は世界規模での災害になりました。
12年たった現在でもその余震などはまだ続いておりいまだに行方不明のままのひとも多くいます。
今回は311について現役副住職の恵美さんにインタビューをしてきました。

目次

僧侶の資格とかではなく、ばーちゃんの霊感は限りなく強い

311の当日って恵美さん何してました?
恵美さん
その日はばーちゃんといっしょに片付けしてたんだ。で、昼過ぎくらいからばーちゃんが胸騒ぎがするって壊れ物とかをしまうように言ってきたからそれを片付けたり、しまったり結んで揺れないようにしてたよ。寺って落下物も物凄く多いからね。積んでるものとかもあるから
おばあさまなんかわかってたのかな
恵美さん
どうなんだろう。なんか胸騒ぎがするって朝から普段の倍は食べてた
私も普通に仕事してて、金曜日だったから両替とか時間前に済ませようと思って。で、銀行から戻った瞬間に揺れが来てすぐにパソコンと電気系統シャットダウンさせたわ
恵美さん
私はなんとなく不安だったから電源とかは全部落として携帯でワンセグつけてばーちゃんと過ごしてたね。で、一気にがつんとしてびっくりした
だったよねえ。あまりの揺れで私、腰が痛くなって揺れながらシップはってて。で、外でたら信号とかの電気も消えてたからこれは大きな奴だって思って
恵美さん
うんうん
すごい寒かったからウォーターサーバーのお湯がまだ出たからそれでコーヒー作って飲んでたわ。車で充電できる奴があってよかったとしみじみ思ったね
恵美さん
それあったよね。ガスは大丈夫だったから風呂とか料理とかはまあ大丈夫かなって思ってたけどもその後もずっと揺れてたもんね。で、ばーちゃんがどんどん険しい顔になっていったんだよ
うん
恵美さん
ばーちゃんはその時から色々と道具を準備してて。んで私は裏の墓地が気になったからそっちにいってきたんだよね。で、幸いにも墓石が倒れるとかはなかったんだけどもずれてる墓石が多かったからそれを親父と押して元に戻して、また揺れても倒れにくいようにするのにしばらくかかった感じはある
揺れがすごかったもんね。私も電気がないと何もできない仕事だったからその日は実家に帰宅しちゃった。まだ先代の猫がいたんだけども猫もすごい鳴いてたね。うちの猫めったに鳴かないんだけどもその日は揺れる前にドアがりがりして鳴いたりしてたわ
恵美さん
うちの犬もなんか震えてたね
情報がすごく断片的で、私最初にこっちが揺れたけどもお台場で爆発事故とかのニュースがメールで飛んできたから関東の大きな地震でこっちまで来たんだって思ってた
恵美さん
ラジオも入らなかったもんな
うん。夜になってからようやくガラケーのワンセグで石巻の海にコンテナが浮いてて津波警報とかがでてびっくりしたもん
恵美さん
うん。ただばーちゃんは海で揺れたなって最初にいっててな
すげえ
恵美さん
何か出てくるし、死んだ人もたくさんいる。上がれない人がたくさんいるっていってて
うん
恵美さん
で、夕飯も普段の倍くらい食ってた
食べれるのはすごくいいことだよね。あの時はコンビニからも何もかも無くなってたからね

霊感の強い人、そうでない人、適材適所で行動してた

恵美さん
なんもなかったよねえ
私も父親が車用の充電器がなかったから父親にひとまず渡してたわ。新しいの早めに注文してきてから古いのと交換して
恵美さん
親父さん新品のほうが好きだもんね
うん。で、あれから必ず車用の充電器は入れてるしモバイルバッテリーも買うようになったね。あの地震で構え方が変わった人は多いよね
恵美さん
うん。うちでも無駄に装飾品出さずに必要なものだけ出すのをしばらくしてたね。落下して参拝にしてくださってるかたに怪我でもあったら大変だからね
その辺すごく丁寧だよね
恵美さん
で、ばーちゃんと親父がいろいろと話してて
うん
恵美さん
ばーちゃんはもうどこに行くかを決めていて、でも親父は連れて行っても力仕事はできても見える見えないになってくると見えないから親父はこっちに残って私とばーちゃんが現地にいく話になってたわ
適材適所だね
恵美さん
んで荷物を準備してたらKちゃんが“缶へこんだコーヒー安くなってたから買ってきた~ってもってきてくれたんだよ
そういえば持って行った気がする
恵美さん
んで、パッケージがつぶれてるパンとかお菓子とかも安かった~って置いていってくれて。ばーちゃんが“あいつなにも考えないで持ってきたけどもこれも仏様のご恩だろう。ありがたくこれもって向こう行くぞ”ってなったからあれ全部車に積んだんだよ。コンビニで常温の水とかは売ってからね。こっちで買えるものはある程度かってから向こうに行く準備をしてて。ガソリンもまだ日曜の段階だと普通に満タンにしてもらえたからそれもガソリン缶10個くらいに詰めてもらって
週明けの月曜くらいからがガソリンの供給がパニックになったもんね。ただ月曜は私も給油渋滞に巻き込まれて詰めちゃったんだけども満タンにしてもらえたから3月いっぱいは持ったかなあ……スタンドの人も三月いっぱいだけだと思うのでって言ってたからね。私も車の中に積みっぱなしだった除雪機用のガソリン缶二つあったから其れにも詰めてもらって実家に持って行ったもん
恵美さん
んむ、本当に厳しかったよねえ。寺にいる成仏待ちのひとらも
慌ててばーちゃんに一喝されてた
ぶれない。おばあさまぶれない
恵美さん
で、荷造りとかあれこれが終わってから、風呂も多分ないからって体拭くやつ多めに持って出発したんだけど
うん
恵美さん
いつもの峠がもう封鎖されたから別の方向から山を越えていくことになった……
恵美さん山道走るの苦手だよね
恵美さん
うんむ……唯その方が結果として目的地にはものすごく近くなるのもあって自衛隊とかの災害救助の車をよけて現地に入る感じになった。袈裟は積んでたけども私はジャージと軍手とゴム長靴にマスクだったわ
動きやすい格好大事だもんね。私しばらくしてから亘理町にいったけども道路がもう隆起してて普通に走れないし、田んぼに小型ボートがあったりしてたし。窓開けると塩と鉄の匂いがすごかった

霊感のない私でも喜んでもらえた サントリーに感謝だね

恵美さん
ほぼそのままの状態だったねえ、私らがついた時には
うわあ……
恵美さん
んでばーちゃんが役場の人と話をしてて、私とばーちゃんで埋まってる人でまず生きてる人を最優先に探す事になったんだ。で、瓦礫とご遺体や分断沙汰ご遺体とかが多くてな……祈るにも数が多すぎてまずは生存者のいる所に瓦礫をどかせそうな人を案内して、ご遺体の場所には竹棒をたててたんだわ。いくら私らがある程度慣れてるといっても状態が違うし、なかなか慣れるものでもなかったわ。でもそんなことも言ってられないからまずできるだけ生きてる人を探して。私だと限界が早かったからがれき撤去の方をしながらばーちゃんの指示もらってた
うわあ……聞くだけでも怖いな……
恵美さん
簡易テントみたいな感じで非常救護室みたいの作られてて若い看護婦さんが一人ですごいバタバタしてて。んでKちゃんにもらったコーヒーとお菓子あげたら“おいしい……”って泣きだしてな……一人で数十人、ろくに物資もないからね。Kちゃんの
コーヒーはみんなの心を生き返らせてたよ
私ではなく安く売ってくれたお店とサントリーに感謝だねえ
恵美さん
ああいうときってちょっとした、しこう品がすごく贅沢になるんだよね。三日風呂に入れないとかは予想してたけども
うん
恵美さん
死臭が結構つくんだよね。なのでファブリーズ振って寝てた。ジャージは変えもあったし
壮絶だ……
恵美さん
役場の人がこっそりとお湯沸かせる所あるからお坊さんたちお風呂入って。でも長湯できないから体洗ったらすぐに出てもらってって優先的にこっちに気を使ってくれたんだよね。なので匂いだけ落としてあとはタオルで拭いていく感じにしてた。頭は水いらないシャンプーつかってたわ
現地はすごかったもんねえ……5月ですら全然撤去とかされてなかったし空港や高速も結構傷あったしね。野蒜(野蒜地区。311でもっとも被害が多かった区域の一つ)の一部にはまだ塩水残ってたからね
恵美さん
まだ高速の柱とかには水しみた後がある部分残ってるみたいだしね
あるねえ。11月くらいでやっと流された場所にコンビニさんができてた。そういえば、お坊さん方ってことは結構お坊さんたち来てたの?
恵美さん
きてた。僧職で見えやすい人とかは率先して救助に入ってたし知ってる人も何人かいたよ。ばーちゃんもだけども居ても立っても居られない、いかねばならないってそれぞれ私みたいの連れてきてたね。救助も大事だけどもご遺体の供養も必要になる。現地の僧侶たちも被害にあっている。そうなると他の所からの僧侶を連れてくる必要が出てくる。何人という状態じゃなく膨大な数のご遺体に対しての供養が必要になる。火葬とかはできなくとも、できれば読経くらいは欲しいっていう人がほとんどだった
誰でもできる仕事じゃないものね……
恵美さん
んでさ、一回こっち返ってきてもう一回向こうに行ったんだけどさ
うん
恵美さん
また来てくださいますよね?帰ったままじゃないですよね?っていわれてさ。荷物と風呂に入ったらすぐに戻りますからって
うん
恵美さん
で、親父も今度はできる仕事が増えてるから寺は兄貴に任せて親父と二台でまた向かったんだよね。で、向こう着いてからはまた同じように救助の方を最優先にして。指示だしはばーちゃんもだけどもほかの僧侶の方らも同じように指示だししてて。普段だったら気持ち悪いってなるんだろうけどもそのときは見えるものや霊的な能力があることが重宝されてたよ。すごく珍しかったと思う。災害救助のかたにも役場の人が”あの人らは見えるお坊様たちです。救助と読経をあげてくださる為にきてくださいました“って説明してくれて途中からタッグを組んでいく感じだったもん
その中で動ける恵美さんもすごいよ

僧侶が派遣されて来た ここまで求められる事態はありますか?

恵美さん
そんなこともないよ。なかなか思うようにできなかったし、ただ、何もないことで空の高さはすごくあった。星はいやになるくらいに綺麗だった。しばらく星空を見たくないって人の気持ちがわかったわ。そのなかでほぼ野営みたいな感じでご飯作ったり、役場の二階とかで寝たりしてたけども。私はそこまで寝るところとかは気にならなかったけども慣れない人にはきつかったんじゃないかな。床で寝るのもそこまで無理じゃなかったし
なるほど
恵美さん
最初はほぼ無理やり連行された人も何人かいて、帰りたいって言ってたんだども神主さんなのかなあ“見える人、見えて力の出せる人は本当に少しだけです。ここに来たのは何のためかを考えてください。見えることを使うのはいつですか?今ですよね。神職、僧職がここまで求められる事態はありますか?”って
それ言われたら何も言えなくなるわね
恵美さん
だねえ。学生さんだったんかもしれない。春休みに被災地で透視や霊視しろとか霊聴しろとか言われると思わないよね。ただその言葉は全くその通りだし、私とか他の同年代っぽい僧職や神職が言葉にできないことを言葉にしてくださったんだよねあの方は
うん
恵美さん
で、今度はご遺体が収容されていくのが増えてきたから私とか一部の僧職が袈裟を着て読経を上げ続けていく感じになって
壮絶だったんだねえ……被害の状況が日に日に悪化しててあれだったというか……今でも見つかってない人もいるからねえ
恵美さん
で、探してるとさ、もう亡くなった事を理解してる人もいるんだよ。自分の体はこの下にあるから後ででいいから掘ってくれ。こっちに子供さんの気配がするからこっちを掘ってくれないか?って
そういう人も出てくるんだねえ……
恵美さん
すごく多かった。家族がまだ生きてるんだ、助けてくれ。自分はもう死んだのを理解したからとか、私だけじゃなくあの場に来てるそういう対応ができる人はあっちこっち移動してたね
本当に……数万人って被害っていうのがねえ……
恵美さん
今まだ出てきてない人の中には一部だろうけども、自分が地球の一部になることを選んだ人もいると思う。そういう考えの人って一定いるからね。散骨してほしいとかそういう感じ
散骨系の人か
恵美さん
1年は亡くなったことを認めたくない人もいたけども三年くらいでそれもなくなったねえ。イジを張っても仕方がないので私を上にあげてくれませんか?って言われたし
結構長いこと往復してたよね
恵美さん
そこで上にあげた方がばーちゃんに会いにきたり、ばーちゃんが亡くなる時に“お世話になりましたので”ってきたりもしてた。あとなんでか犬の霊にめっちゃ懐かれた。あれはなんだったんだろうな
犬の霊
恵美さん
流されて亡くなったらしく飼い主さんっぽい人に話をしたらうちの犬です!!っていってた。んで飼い主さんに言われたから犬の供養もやった
恵美さんのそういう所好きよ
恵美さん
まあ、まだまだ残ってることはあるし、ばーちゃんから引き継いでるのもあるから定期的に向こうにはいかなきゃいけないんだけどもね

僧侶の女性でも語り尽くせない、だから話は次回に続く!

今はだいぶ復興したけども治ってないところも多いよね
恵美さん
だね。私も海はちょっと怖いなあって思ってる
それはあるねえ
恵美さん
ただ、僧職で人のために何ができるというのを明確にしてくださったと思う。大変な災害ではあるんだけども一種の学びと修行というかね
当時のことをもう少し聞かせてもらってもいいです?
恵美さん
大丈夫ですよ
お願いします

この記事を書いた人

小さいころから占いに興味があって、色々と勉強しているうちにどんどん好きになり、皆さんにも占いの良さを知ってほしくて記事を書いています。

知り合いに占い師や霊能力者、お寺の住職がたくさんいるので、その方たちにインタビューして記事を書いています。

コメントをする
通知する
guest

0 これまでのコメント
Inline Feedbacks
View all comments
目次